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発行日 :平成22年 8月
発行NO:No25
発行 :溝上法律特許事務所
弁護士・弁理士 溝上哲也
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【1】論説〜歴史上の人物名からなる商標出願について
1 歴史上の人物名からなる商標の取り扱いについて
歴史上の人物の名前に関しては、故人や出身地などと無関係な企業からの商標登録出願 がなされることが多く、出身地など利害関係のある者との間でトラブルが生じることもあ ったため、特許庁は、平成21年10月に、商標審査便覧に
「歴史上の人物名からなる商標登録出願の取扱いについて」(42.107.04)
を追加する改訂を行い、下記のような基準で商標法第4条第1項第7号(公序良俗違反) にとなるか否かを審査するようになりました。
1.歴史上の人物名からなる商標登録出願の審査においては、商標の構成自体がそう でなくとも、商標の使用や登録が社会公共の利益に反し、又は社会の一般的道徳観 念に反するような場合も商標法第4条第1項第7号に該当し得ることに特に留意す るものとし、次に係る事情を総合的に勘案して同号に該当するか否かを判断するこ ととする。
(1)当該歴史上の人物の周知・著名性
(2)当該歴史上の人物名に対する国民又は地域住民の認識
(3)当該歴史上の人物名の利用状況
(4)当該歴史上の人物名の利用状況と指定商品・役務との関係
(5)出願の経緯・目的・理由
(6)当該歴史上の人物と出願人との関係
2.上記1.に係る審査において、特に「歴史上の人物の名称を使用した公益的な施 策等に便乗し、その遂行を阻害し、公共的利益を損なう結果に至ることを知りなが ら、利益の独占を図る意図をもってした商標登録出願」と認められるものについて は、公正な競業秩序を害するものであって、社会公共の利益に反するものであると して、商標法第4条第1項第7号に該当するものとする。
そして、上記の審査基準の追加後、平成22年1月には、山口市を出願人とする「中原 中也」と「中也」の商標登録出願が、「周知・著名な歴史上の人物名にあたり、同市の独 占的な使用は全国各地の観光振興策などの妨げになる恐れがある」などとして、特許庁か ら拒絶理由通知がなされ、宮城県の企業が出願して、平成19年に商標登録が認められて いた「吉田松陰」「高杉晋作」「桂小五郎」ら3人の人物名の商標登録が、異議申し立て を受けて、「地域おこしを阻害する」などとして特許庁による取消決定がなされたことが 報道されています(
【知財情報局】
)。
2 従来の商標審査実務について
しかし、これまでの商標実務においては、歴史上の人物名は、周知・著名であっても、 歴史上の人物として周知・著名であるにすぎず、商標としては、周知でも著名でもないの で、商標法第4条第1項第10号の「他人の業務に係る商品若しくは役務を表示するもの として需要者の間に広く認識されている商標又はこれに類似する商標であつて、その商品 若しくは役務又はこれらに類似する商品若しくは役務について使用をするもの」にも、商 標法第4条第1項第15号の「他人の業務に係る商品又は役務と混同を生ずるおそれがあ る商標」にも該当せず、他方で、商標法第4条第1項第8号の「他人の肖像又は他人の氏 名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称を含 む商標(その他人の承諾を得ているものを除く。)」の「他人の氏名」は、生存ないし現 存するものに限ると解されていたため(「アナアスラン事件」知財高裁H17.6.30 判決/平成17年(行ケ)第10336号)、登録障害事由がないとして、商標登録が認 められてきました。実際にも、下記のような登録例があって、永年にわたりそのことは問 題にされていませんでした。
<登録例>
「弁慶」 (登録第 68202号、大正 3年登録)
「家康」 (登録第522939号、昭和33年登録)
「石川啄木」(登録第605542号、昭和38年登録)
3 商標審査便覧改訂の是非について
今回の商標審査便覧の改訂は、歴史上の人物名に対する強い顧客誘引力が意識されるよ うになったことに伴い、観光産業の核となる記念館や地元のシンボルを抱える郷土や遺族 の登録排除に向けた社会的要請になんとか応えようとしたものと思われます。しかし、従 来の審査実務では捉えきれない歴史上の人物名の商標登録の排除を目的としたため、その 適用対象が明確な個別の登録障害事由ではなく、一般的な登録障害事由である商標法第4 条第1項第7号の公序良俗違反によって登録の可否を判断しようとしたことに果たして問 題はないのでしょうか。
1.「公の秩序又は善良の風俗を害するおそれがある商標」には、その構成自体がき ょう激、卑わい、差別的若しくは他人に不快な印象を与えるような文字又は図形で ある場合及び商標の構成自体がそうでなくとも、指定商品又は指定役務について使 用することが社会公共の利益に反し、又は社会の一般的道徳観念に反するような場 合も含まれるものとする。なお、差別的若しくは他人に不快な印象を与えるような 文字又は図」に該当するか否かは、特にその文字又は図形に係る歴史的背景、会的 影響等、多面的な視野から判断するものとする。
2.他の法律によって、その使用等が禁止されている商標、特定の国若しくはその国 民を侮辱する商標又は一般に国際信義に反する商標は、本号の規定に該当するもの とする。
この審査基準からは、歴史上の人物名が商標法第4条第1項第7号に該当すると判断さ れることは、よほど特別な事情がなければ想定できません。そして、知財高裁の裁判例に おいても、「出願人が本来商標登録を受けるべき者であるか否かを判断するに際して、先 願主義を採用している日本の商標法の制度趣旨や、国際調和や不正目的に基づく商標出願 を排除する目的で設けられた法4条1項19号の趣旨に照らすならば、それらの趣旨から 離れて、法4条1項7号の『公の秩序又は善良の風俗を害するおそれ』を私的領域にまで 拡大解釈することによって商標登録出願を排除することは、商標登録の適格性に関する予 測可能性及び法的安定性を著しく損なうことになるので、特段の事情のある例外的な場合 を除くほか、許されないというべきである。」(「CONMER事件」知財高裁H20. 6.26判決/平成19年(行ケ)第10391号)とするものがあることからすると、地元の 記念館や遺族の利害の問題は、公序良俗という一般的な問題ではなく、私的な利害調整と いう要素が強く、上記審査便覧の改訂による取り扱いの追加によっても、本来、登録障害 事由とはなり得ないものと言えます。また、地元の記念館や遺族が出願人になれば、公序 良俗違反にならず、他府県の企業が出願人であれば公序良俗違反にならないとすれば、そ のような商標は、そもそもそれ自体では公序良俗違反の問題を生じない商標と言わざるを 得ません。さらに、7号の無効審判は除斥期間の対象外なので、既登録商標が事後的に無 効理由を有することになってしまうという重大な問題も生じてしまいます。本来、経過措 置を検討した上で法律改正により対応すべきであったとも言えます。
今回の商標審査便覧の改訂は、これらの問題を含むものであり、登録商標を法律にした がって適正に付与するのに資するかという観点から、問題があると思われます。従来の審 査実務において、商標法第4条第1項第8号、同10号、同15号に該当するかは、その 判断対象が明確であるのに対して、商標法第4条第1項第7号に該当するか否かは、いろ いろな事情を総合的に勘案して審査官が判断することとされているため、審査官による「 公序良俗違反」の安易な適用が懸念されます。実際にも、調査した最近の6年半の間に5 00件の7号の審判又は異議事件があり、査定不服審判は75%が登録審決となっている との指摘もなされています(日本商標協会誌第64号)。
4 商標法第4条第1項第8号と歴史上の人物名について
歴史上の人物名の商標出願が公序良俗違反にはならないとすれば、これまで郷土や遺族 の登録排除に向けた社会的要請に応えられなかった要因はどこにあったのでしょうか。
観光産業を発達させ、郷土の町おこし、村おこしを実践すれば、歴史上の人物名も商品 や役務との関係において周知・著名となりますから、商標法第4条第1項第10号、同1 5号の各適用を求めることは比較的容易であると思われます。
ところが、従来の商標実務では、審査基準においても、裁判例においても、商標法第4 条第1項第8号の「他人の氏名」は、生存ないし現存するものに限ると解されていて、学 説上もこれに異論を唱える見解はほとんどありませんでした(平尾正樹「商標法」148 頁では、死亡によって直ちに人格の要保護性が消滅するわけではなく、生存当時の人格権 が死後も相当期間は残存するとして、生存者に限らず死者も含むとされています)。この 「他人の氏名」に故人が含まれないとする説は、商標法第4条第1項第8号が人格権保護 の規定であることから、人格権の主体が存在しない時点では当然に保護されないとするこ とを根拠とするもののようです。しかし、商標法第4条第1項第8号には、「現存する他 人」とも、「死者を除く」とも明記されておらず、当然に故人が含まれないと解釈できる わけではありません。確かに、人格権のひとつである肖像権やプライバシー権は、権利主 体である個人との関係で保護される権利であって、故人の肖像権やプライバシー権を観念 することは困難と言えます。しかし、最近では、著名人がその能力や努力により獲得した 地位に伴う経済的価値を保護する権利として、パブリシティ権が裁判例においても、学説 においても肯定されていることに鑑みれば、商標法第4条第1項第8号は、むしろこのよ うなパブリシティ権に配慮して、承諾のない「他人の氏名」を登録障害事由としたものと 見るべきです。もっとも、このような見解にたっても、パブリシティ権に相続性が認めら れるかどうか肯定説と否定説があり、さらに,相続されるとしても保護期間はいつまでな のかという問題が残ります。商標法第4条第1項第8号の解釈論としても承諾のない「他 人の氏名」がどのような場合に死後いつまで登録障害事由となると解すべきかという問題 があります。この点については、どちらの解釈が、商標の使用をする者の業務上の信用の 維持を図り、もつて産業の発達に寄与し、あわせて需要者の利益を保護するという商標法 の目的に資するのかによって決すべきです。そうであれば、法文に明記されていない現存 するものに限るという硬直的な解釈するより、@周知または著名な「他人の氏名」である こと、A保護期間は著作権にならって死後50年間とすることと言う2要件を満たした場 合には、死後も「他人の氏名」として商標登録が認められないと解釈すべきであると考え ます。
このような解釈をすれば、歴史上の人物名を上述したような問題点のある商標法第4条 第1項第7号の公序良俗違反となるかによって登録の可否を判断するよりも、実態に沿っ て無理がなく、周知・著名な故人とその関係者の保護に資することになると思います。
以 上
(H22.8作成: 弁護士・弁理士 溝上 哲也)
→【2】論説:自炊の後始末:電子書籍化と著作権
→【3】論説:原告商品を模倣した商品を譲り受けたときの被告の善意無重過失について争われた事例
→【4】論説:賃借人死亡の場合の法律関係と賃貸人の対応
→【5】記事のコーナー :「明細書、特許請求の範囲又は図面の補正(新規事項)の審査基準の改訂について
→【6】記事のコーナー :外国への特許出願について〜中国〜
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