発行日 :平成17年 1月
発行NO:No14
発行    :溝上法律特許事務所
            弁護士・弁理士 溝上哲也
→事務所報 No14 INDEXへ戻る


   【3】論説〜特許権侵害訴訟における権利濫用の抗弁について〜
1.富士通半導体訴訟最高裁判決(いわゆるキルビー判決)について

  キルビー判決(1)は、特許の無効審決が確定する以前であっても、特許権の侵害訴訟を審理する裁判所は、審理の結果、特許に無効理由が存在することが明らかであると認められるときは、その特許権に基づく差止め・損害賠償等の請求は、訂正審判の請求がされているなど特段の事情がない限り、権利の濫用に当たるとして棄却することができると判示しました。
  行政処分は、仮にそれが違法であったとしても、取消権限のある者によって取り消されるまでの間は、有効なものとして存在し、行政処分に効力がないものとして取り扱うことは許されないのが原則です。特許権の付与も、特許庁が行う行政処分であって、特許の有効・無効の対世的な判断は、特許庁における無効審判手続の専権事項であるため、仮に特許に無効理由が存在する場合であっても、無効審判の無効審決が確定するまでの間は、当該特許権は、対世的には、有効なものとして取り扱われます。

  現行の特許法は、特許法168条第2項において、「訴えの提起又は仮差押命令若しくは仮処分命令の申立てがあった場合において、必要があると認めるときは、裁判所は、審決が確定するまでその訴訟手続を中止することができる。」と定め、民事訴訟手続と行政審判・行政訴訟手続の並存を前提としつつ、両者の審理が並行して進行する場合の調整規定が存在するのみで、特許に無効理由が存在する場合に関して、それ以上の具体的な規定は設けられていません。そこで、判例や学説は、無効理由の存在する特許権による権利行使を認めないための論理構成として、事案に応じて、限定解釈説(2)、自由技術の抗弁説(3)、権利濫用説などの考え方をとっていました。

  しかしながら、行政法の原則を形式的に維持し、侵害訴訟裁判所において当該特許に無効理由の存在することが明らかに認められる場合についてまで特許権の行使を認めることは、衡平の理念に反し、また、無効審判における無効審決が確定しなければ、当該特許に無効理由の存在することをもって特許権の行使に対する防御方法とすることが許されないとすることは、特許の対世的な無効までは求める意思のない被告に無効審判の手続を強いることとなり、訴訟経済にも反することとなります。
  キルビー判決は、このような手続の負担・衡平・迅速の点を考慮し、行政処分ではあっても私権の色彩の強い特許権の行使を排斥するのに最も適切な論理として権利濫用説を採用したものといえます。

2.キルビー判決後の状況と問題点

  キルビー判決から4年以上が経過し、侵害訴訟において無効理由が存在することが明らかであるとして権利濫用の抗弁を主張することが一般的となり、これを認める下級審裁判例も多く出されるようになりました。また、判断に専門的知識経験を要し、技術的価値の評価を伴う、発明の進歩性についても、侵害訴訟裁判所は積極的に判断をするようになっています。

  しかし、侵害訴訟裁判所が、特許庁の判断を経由することなく、特許権の行使を許さないとすることは、一方で、侵害訴訟裁判所における特許の有効性についての判断と、特許庁における無効審判の審決(又は審決取消訴訟の判決)との間で齟齬が生じるおそれがあるという問題(4)  (5)や、侵害訴訟手続における被告からの権利濫用の抗弁が認められたことにより、特許権者側は今まで以上に対応負担を求められるという問題が生じています。
  まず、判断の齟齬の問題では、@侵害訴訟裁判所では有効とされながら、無効審判では無効とされるケースと、逆に、A侵害訴訟では無効理由があるとして権利濫用の抗弁が認められながら、無効審判では有効と判断される場合が考えられます。
  しかし、上記@は、キルビー判決が、「当該特許に無効理由が存在することが明らかであると認められること」を要件としていたため、侵害訴訟では明らかとまでは立証されなかったのだとすれば、論理的な齟齬は生じていないともいえます。なお、上記@の場合は、侵害訴訟の判決が確定していても、再審によって救済される余地もあります。これに対して、上記Aは、論理的にも矛盾がある上、侵害訴訟の判決が確定してしまえば、再審によって救済されることもないという問題があります。

  また、特許権者の対応負担の問題は、キルビー判決によって侵害訴訟でも特許の有効性判断がなされるようになり、権利者は侵害訴訟と無効審判で実質的に同一の争点について二つの手続に対応しなければならなくなったことに由来します。
  しかし、無効審判の審決には対世効があり、当事者間での紛争解決のみを目的とする侵害訴訟とは性質が異なるため、無効審判と侵害訴訟の重複請求はやむを得ない面があります。また、平成15年法改正により、特許無効審判は原則として何人でも請求できることとなったため、仮に侵害訴訟中は無効審判を封じるような措置を採ったとしても、第三者によるダミー請求を避けることはできないという問題があります。

  ただ、キルビー判決後、侵害訴訟において特許無効による権利濫用の抗弁を主張できるようになったにも係わらず、実際には、併せて無効審判も請求するケースが多かった理由の一つには、キルビー判決の「明らか要件」の基準が必ずしも明らかでなかった点が挙げられます。被告としては、侵害訴訟において権利濫用の抗弁が認められるか否かの予測可能性が不透明であれば、抗弁が認められない場合のリスクを考えて、並行して無効審判を請求するのは当然の流れといえます。

3.平成16年法改正における特許法104条の3について

   そこで、平成16年6月18日法律第120号として「裁判所法等の一部を改正する法律」が制定され、特許法第104条の3(6)が新設されました。
  今回の改正では、特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において、当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者又は専用実施権者は、相手方に対しその権利を行使することができないこととなりました(特許法104条の3第1項)。すなわち、従前、キルビー判決に基づいて権利濫用の抗弁をするには、当該特許に無効理由が存在することが明らかであることを立証する必要がありましたが、改正法では、当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められることを主張・立証すれば足りることになりました。これは、紛争の一回的解決を極力実現するための改正です。なお、侵害訴訟裁判所が本条の規定により差止請求等を棄却する判決をしたとしても、この裁判所の判決の効力は、民事訴訟の原則に従い、訴訟当事者限りのものとなることは従前と変わりありません。

  また、今回の改正では、「明らか要件」を撤廃した代わりに、抗弁権の濫用防止の観点から、特許法104条の3第1項の主張が、審理を不当に遅延させることを目的として提出されたものと認められるときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、これを却下することができることとなりました(同条第2項)。例えば、被告側が、多数の無効理由を根拠もなく無作為に主張するような場合には、権利者側は、審理を不当に遅延させる目的で提出したものとして、却下の決定を申し立てることができることになります。
  ただ、訴訟遅延になるか否かを要件とする以上、却下され得るかどうかは審理の最終段階になって初めて判明するケースもあるのではないかと思われます。そうすると、被告から主張された無効理由の中に明らかに成り立たないと予測されるものがあっても、特許権者の方は、裁判所の判断が示されるまではすべての無効理由について反論をしなければならず、侵害訴訟における負担が以前よりも大きくなるのは避けられないのではないかと予測されます。

  この点については、特許法104条の3第2項は、民事訴訟法第157条(7)とは異なり、「時機に後れて」という要件はあえて設けず、審理を不当に遅延させることを目的として提出されたものと認められる場合に却下することができると規定した訳ですから、濫用的な無効理由の提出に対しては、審理の早い段階で却下の可否を判断する運用が求められます。



(1)  ジャック・キルビー博士が発明した半導体集積回路に関する特許権を有する米国の半導体製造業者「Texas Instrument Inc.」が、富士通株式会社に対し、その特許権を侵害するものとして実施料相当額の金銭支払を要求したため、富士通株式会社が、自社製品の販売は本件特許権を侵害するものではないとして、損害賠償請求権の不存在確認を請求した事件(H12.4.11 最高裁第三小法廷判決 平成10年(オ)第364号 債務不存在確認請求事件)である。
(2)  特許請求の範囲に記載された発明の構成を具備する実施例のうち、ある実施態様は公知であるが、他の実施態様は公知でない場合に、特許権侵害訴訟を審理する裁判所は、特許請求の範囲をその公知の実施態様を含まないように限定して解釈し、特許発明の技術的範囲を定めることができるという説である。
(3) 被告の実施しているイ号製品が公知技術と同一かそれと極めて近似していることが明らかである場合には、特許権の行使は認められないという説である。なお、この抗弁は、特許権の有効・無効とは直接関係なく、被告はイ号製品と公知技術が同一であることを立証すれば足りるとする点で、被告にとって無効理由の存在を立証するよりも立証が容易な場合もあると考えられる。
(4) 侵害裁判所における特許無効の判断と、無効審判の審決取消訴訟における判断の間に齟齬が生じた例として、H14.07.18 東京地裁 平成13(ワ)1105 特許権侵害差止等請求事件がある。この事件は、無効審判(無効2000-35301)で「進歩性なし」との無効審決がなされた後、侵害裁判所が「進歩性がないことが明らか」であるとして請求棄却の判決をしたところ、その後に、無効審判の審決取消訴訟(H15.07.18 東京高裁 平成13(行ケ)588 特許権審決取消請求事件)で「進歩性なしとはいえない」として取消判決がされたものである。但し、特許庁は、さらに職権審理を行い、改めて無効理由を通知した上で無効審決をし、その審決が確定したので、最終的には齟齬は生じていない。
(5) 侵害訴訟裁判所で「進歩性がないことは明らか」であるとして請求棄却の判決を言い渡す直前に、無効審判(無効2002-35245)において「進歩性がないとはいえない」との審決がなされた例として、H15.07.30 東京地裁 平成14(ワ)2473 特許権損害賠償等請求事件がある。侵害訴訟裁判所は、『本件のような事案において、特許権侵害事件を審理する裁判所が、権利濫用の抗弁を肯定して、本件請求を棄却すべきか、無効審判事件における審決が確定するまで中止すべきかは、事案の性質及び審理の進行状況によって異なる対応が考えられ、一様ではないというべきである。本件においては、当裁判所の本件特許の有効性に関する判断を示した上で、控訴審において、審決と本件判決の両者を、一回的に審理し、結論を出すのが、最も、紛争の迅速な解決に資するものと解したため、本判決を言い渡すこととした。』と判断し、審理を中止することなく、請求棄却の判決をしている。
(6)  特許法第104条の3の規定は、以下の通りである。  特許権又は専用実施権の侵害に係る訴訟において、当該特許が特許無効審判により無効にされるべきものと認められるときは、特許権者又は専用実施権者は、相手方に対してその権利を行使することができない。  2 前項の規定による攻撃又は防御の方法については、これが審理を不当に遅延させることを目的として提出されたものと認められるときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、却下の決定をすることができる。
(7) 民事訴訟法第157条第1項の規定は、以下の通りである。 当事者が故意又は重大な過失により時機に後れて提出した攻撃又は防御の方法については、これにより訴訟の完結を遅延させることとなると認めたときは、裁判所は、申立てにより又は職権で、却下の決定をすることができる。

(H17.1作成: 弁理士 山本 進)


→【1】論説 :職務発明を巡る最近の動き
→【2】論説:本人尋問・証人尋問について
→【4】記事のコーナー :事務所で働くスタッフ一同のマイブーム
→【5】記事のコーナー :事務所の近況
→事務所報 No14 INDEXへ戻る



溝上法律特許事務所へのお問い合わせはこちらから


HOME | ごあいさつ | 事務所案内 | 取扱業務と報酬 | 法律相談のご案内 | 顧問契約のご案内 | 法律関連情報 | 特許関連情報 | 商標関連情報 |
商標登録・調査サポートサービス | 事務所報 | 人材募集 | リンク集 | 個人情報保護方針 | サイトマップ | English site
1997.8.10 COPYRIGHT Mizogami & Co.

〒550-0004 大阪市西区靱本町1-10-4 本町井出ビル2F
TEL:06-6441-0391 FAX:06-6443-0386
お問い合わせはこちらからどうぞ