発行日 :平成28年 1月
発行NO:No36
発行    :溝上法律特許事務所
            弁護士・弁理士 溝上哲也
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   【2】論説〜無効審判の確定審決の一事不再理効について判断された事例〜
1.事案の概要
  本件( 知財高判平成27年8月26日、平成26年(行ケ)第10235号審決取消請求事件 )は、発明の名称を「洗浄剤組成物」とする特許第4114820号の請求項1及び2に係る発明に対し、原告が無効審判(無効2014−800045号)を請求したところ、特許庁は、本件審判は既に審決が確定している従前の無効審判(無効2011−800147号)における無効主張と同一の事実及び同一の証拠に基づいて請求されたものであるから、先の審決の一事不再理効(特許法167条)に反する不適法な審判請求として却下する審決をしたので、これを不服とする原告が審決の取り消しを求めた事案である。

2.前提となる事実
(1)先の審決の確定
  本件特許は、本件審判請求以前に無効審判が2回請求されており、何れも審決取消訴訟を経て請求棄却の審決が確定していた(以下、本判決の表現どおり日付の古いものから順に「第1審判」「第2審判」といい、それぞれの確定した審決を「第1審決」「第2審決」という。)。本件で問題となったのは、第2審判において審理対象とされた進歩性欠如の主張である。
  なお、第2審決は平成25年に確定登録されているから、本件には、確定審決の一事不再理効の及ぶ範囲が「何人」から「当事者及び参加人」とされた平成23年法改正後の特許法167条が適用されるが、第2審判の請求人は当事者である原告であった。

(2)証拠の関係
  当事者間に争いのない事実によれば、第2審判において審理された証拠と、本件審判において審理された証拠の関係は、以下のとおりであった。英国特許第1439518号明細書と特開昭50−3979号公報は、共にフランス国の特許出願(7228746号,7242210号)を優先権主張の基礎とするパテントファミリーであり、両者の記載内容はよく似たものであった。

刊行物名 書証番号
(本件審判・訴訟)
書証番号
(第2審判・訴訟)
「入門キレート化学(改訂第2版)」 甲1 未提出
特開平7−238299号公報 甲2 甲3
英国特許第1439518号明細書 甲3 甲1
特開昭50−3979号公報 甲4 甲2
 
  一般に、進歩性欠如の無効理由を主張する場合の主要事実には、特許法29条2項の「前項各号に掲げる発明」を証明するための事実(いわゆる「主引例」)のほか、その主引用発明に基づいて同項の「当業者が容易に発明をすることができたこと」を証明するための事実(いわゆる「副引例」や「周知技術」を示す文献)が含まれる。
  本件において、原告は、主引例という位置付けで甲1文献を提出した。ところが、審決は、本件審判における実質的な主引例は甲3公報及び甲4公報であり、甲1文献及び甲2文献は周知技術を示すための文献と認定している。この認定が審決の結論に影響していることは明らかで、本件の主たる争点は、本件審判の原告の無効主張における甲1文献の位置付けである。

(3)本件特許のクレームと技術分野
  本件特許は第1審判において訂正請求がなされており、同訂正は第1審決により確定している。訂正後の本件特許の特許請求の範囲の記載は、次のとおりである。

「【請求項1】 水酸化ナトリウム,アスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類,及びグリコール酸ナトリウムを含有し,水酸化ナトリウムの配合量が組成物の0.1〜40重量%であることを特徴とする洗浄剤組成物。 【請求項2】 水酸化ナトリウムを5〜30重量%,アスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類を1〜20重量%,グリコール酸ナトリウムをアスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類1重量部に対して0.1〜0.3重量部含有する請求項1記載の洗浄剤組成物。」


  本件特許の請求項1に係る発明(以下「本件発明」という、)は、上記のとおり@水酸化ナトリウム、Aアスパラギン酸二酢酸塩類及び/またはグルタミン酸二酢酸塩類、Bグリコール酸ナトリウムの3成分を主成分とする洗浄剤組成物である。  例えば食品業界では、金属やガラスの硬表面に付着した汚れ(カルシウムイオン、マグネシウムイオンをはじめとするアルカリ土類金属塩や有機質物)を洗浄するために「キレート剤」(金属封鎖剤)を含む洗浄剤が用いられている(本件明細書の段落0001〜0002参照)。本件発明の洗浄剤は、そのような金属やガラスの硬表面に付着した汚れを洗浄する目的で使用されるものである。

(4)第2審決における主引例と周知技術の認定
  第2審決においては、先ず、主引例とされた前掲英国特許第1439518号明細書及び特開昭50−3979号公報には「OS」と呼ばれる金属イオン封鎖材組成物(上記Aのグルタミン酸二酢酸のナトリウム塩と同じ物質である。)が開示されていること、上記Bのグリコール酸ナトリウムについては、Aのグルタミン酸二酢酸のナトリウム塩を得る際に、二次的反応により生成される物質であることが認定されている。
  また、上記Aのアスパラギン酸二酢酸塩類やグルタミン酸二酢酸塩類は「第3級アミン誘導体であるキレート剤」であるところ、第2審決においては、前掲特開平7−238299号公報には、エチレンジアミン四酢酸(EDTA)のナトリウム塩やニトリロトリ酢酸(NTA)のナトリウム塩のようなキレート剤、すなわち「第3級アミン誘導体であるキレート剤」を含有する洗浄剤に「水酸化ナトリウム」を添加することが開示されていることから、「第3級アミン誘導体であるキレート剤を含有する洗浄剤において、水酸化ナトリウムを用いること」は、本件特許出願の優先日前の周知技術と認定されている。
  以上の認定をした上で、第2審決及びその後に提起された審決取消訴訟(平成24年(行ケ)第10177号事件)の判決において何れも「進歩性あり」との判断がなされた理由は、本件発明は、上記3成分の相乗効果により、Aの成分を用いた場合でも従来品であるEDTAを含有した洗浄剤と同等の洗浄効果を奏し、Bのグリコール酸ナトリウムの配合によりその洗浄効果が高まっている点(本件明細書の表1参照)を当業者が予測し得ない効果と認めたことによると考えられる。なお、主引例に開示された金属イオン封鎖剤組成物「OS」の金属イオン封鎖力は、EDTA四ナトリウム塩よりは劣るものであった。

(5)甲1文献の内容
  本件審判において新たな証拠として提出された甲1文献「入門キレート化学(改訂第2版)」は、原告自身、学生レベルの参考書と説明しており1988年当時の技術常識を示すものであったが、甲1文献には、金属表面やガラス瓶の洗浄において、2%以上のNaOH(水酸化ナトリウム)水溶液が、キレート剤としてコンプレクサン型であるEDTAを添加して常用されていたが、EDTAの生分解性が低いという問題があることが知られていることの記載があった。つまり、EDTAは微生物によって分解されず、環境に悪影響を及ぼすという課題である。

3.審決の判断
  審決は、本件審判において新たな証拠として提出された甲1文献は、第2審決が既に審理対象とした特定の周知技術が存在することを証明しようとするものであるか、そうでなければ、せいぜい甲2文献(第2審判における甲3文献)に記載された技術の背景(技術的課題)を単に解説し、特定の周知技術が存在することを証明することについて補強又は補助するためのものにすぎないのであって、実質的に見て、第2審決における無効原因を基礎付ける事情以外の新たな事実関係を証明する価値を有する証拠であると評価することはできず、甲1文献以外の証拠はすべて同じであるから、本件審判は第2審判と同一の事実、同一の証拠に基づくもので、第2審決の一事不再理効に反していると判断した。

4.裁判所の判断

  知財高裁は、次のとおり判断し、特許庁の審決を取り消した。
『 原告は,本件審判の無効理由として,甲1文献に記載された従来技術と甲3公報に記載された「OS」との組合せによる容易想到性(特許法29条2項)を主張していること,すなわち,甲1文献に記載された従来技術である「ガラス瓶,金属表面の洗浄において2%以上のNaOH(水酸化ナトリウム)水溶液が,キレート剤としてコンプレクサン型であるEDTAを添加して常用されていたこと」を主引用発明とし,生分解が低いという問題があるEDTAを,それと同じくコンプレクサン型の生分解性に優れるキレート剤に変更するという技術思想が甲2公報に記載されていることを動機付けとして,甲3公報に記載された,同じくコンプレクサン型の生分解性に優れるキレート剤である「OS」を,主引用発明におけるEDTAに代えて用いて,「2%以上のNaOH水溶液に,キレート剤として「OS」を添加して,ガラス瓶,金属表面の洗浄に用いる」ことにより,本件発明の構成とすることは,当業者が容易に想到することができたと主張しているものと解される。…
  これに対し,本件審決は,…本件審判において原告が主張する無効理由における主引用発明は,第2審判における主引用発明である,甲3公報ないし甲4公報に記載された「OS」なる金属イオン封鎖剤組成物…であると認定したのであり,本件審決のこの認定は誤りである。…
  特許発明が出願時における公知技術から容易想到であったというためには,当該特許発明と,対比する対象である引用例(主引用例)に記載された発明(主引用発明)とを対比して,当該特許発明と主引用発明との一致点及び相違点を認定した上で,当業者が主引用発明に他の公知技術又は周知技術とを組み合わせることによって,主引用発明と,相違点に係る他の公知技術又は周知技術の構成を組み合わせることが,当業者において容易に想到することができたことを示すことが必要である。そして,特許発明と対比する対象である主引用例に記載された主引用発明が異なれば,特許発明との一致点及び相違点の認定が異なることになり,これに基づいて行われる容易想到性の判断の内容も異なることになるのであるから,主引用発明が異なれば,無効理由も異なることは当然である。…
  また,主引用例は,特許発明の出願時における公知技術を示すものであればよいのであるから,甲1文献のように出願時における周知技術を示す文献であっても,主引用例になり得ることも明らかであり,これを主引用例たり得ないとする理由はない。さらに,主引用発明が同一であったとしても,主引用発明に組み合わせる公知技術又は周知技術が実質的に異なれば,発明の容易想到性の判断における具体的な論理構成が異なることとなるのであるから,これによっても無効理由は異なるものとなる。
  よって,特許発明と対比する対象である主引用例に記載された主引用発明が異なる場合も,主引用発明が同一で,これに組み合わせる公知技術あるいは周知技術が異なる場合も,いずれも異なる無効理由となるというべきであり,これらは,特許法167条にいう「同一の事実及び同一の証拠」に基づく審判請求ということはできない。…
  第2審判と本件審判では,特許法29条2項に係る無効理由における主引用発明が異なることが認められるから,「同一の事実及び同一の証拠」に基づく請求であるとはいえない。
  よって,本件審判における特許法29条2項による無効理由は,第2審決と同一の事実及び同一の証拠に基づく審判請求であり,一事不再理効に反し許されないとして,本件審判について実質的な判断をせずに,本件審判請求を却下した本件審決の判断には誤りがあり,これを取り消すべき違法があるというべきである。』

5.考察
  進歩性の判断は、先行技術に基づいて、当業者が請求項に係る発明を容易に想到できたことの論理の構築(論理付け)ができるか否かを検討することにより行う(特許・実用新案審査基準第V部第2章第2節「進歩性」の項を参照)。無効理由を構成するときは、論理付けに最も適した一の引用発明を選んで主引用発明とし、主引用発明から出発して、当業者が請求項に係る発明に容易に到達する論理付けができることを説明するのであるが、幾つかある先行技術文献のうち、どの文献を主引例と定めるかは、審判請求書を作成する上で極めて重要な事項である。
  本件の原告は、金属表面やガラス瓶の洗浄において、請求項1に規定されている水酸化ナトリウムの配合量(組成物に対し0.1〜40重量%の範囲)に確実に含まれる「2%以上のNaOH水溶液」が、キレート剤としてコンプレクサン型のEDTAを添加して常用されていたところ、EDTAの生分解性が低いという課題の記載がある甲1文献を出発点とし、甲2公報に同じくコンプレクサン型ではあるが、生分解性に優れるキレート剤を水酸化ナトリウム水溶液に添加し、ガラス瓶や金属表面の洗浄に用いるという解決手段の示唆があることを動機づけとし、甲3公報に開示されている生分解性に優れるキレート剤「OS」を組み合わせて本件発明に想到することは容易というように、本件審判においては一連の思考の流れを重視したかったものと考えられる。
  もっとも、甲1文献を追加しても、請求項1に規定されているグリコール酸ナトリウムとの相乗作用についての記載がないことに変わりはなく、一定量のグリコール酸ナトリウムを意図的に添加する着想がなければEDTAに匹敵する洗浄能力は得られないと言われれば、その点は苦しいのであるが、甲3公報及び甲4公報を主引例にした場合、相違点となる水酸化ナトリウムの添加に関する論証が弱くならざるを得なかった第2審判及び審決取消訴訟の経過を踏まえると、甲1文献を出発点とした無効主張で再度判断を仰ぎたいと考えることは実務家としては理解できるし、それは第2審判の単なる蒸し返しではないというべきである。
  結論として、本件は第2審判とは異なる論理付けで進歩性欠如の主張を構成しているから、特許庁は実質的な審理を行うべきであり、審決を取り消した知財高裁の判断が妥当と考える。


(H28.01作成: 弁理士 山本 進)


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